この文章を書く「決断」をした時、「迷い」があったか?
「迷い」と「決断」というとえらく大層に聞こえるが、人は誰でも、日々「迷い」、様々な「決断」をしながら生きているものだと思う。
☆小さな決断が日々を作る
例えば、さっき息子が
『そこの自販機にコーラを買いに行くけど、いる?』
と聞いてきた。
特にコーラが好きなわけでもないし、喉が渇いていたわけでもなかった。
むしろ、寝る前に炭酸飲料を飲むことに抵抗を感じたくらいだ。
でも、声をかけてくれた息子の気持ちが嬉しかった。
これは、確かに「迷い」ではなかろうか?
そして、結局『いる。』と答えた。
これはまさしく「決断」なのだろう。
迷ってから決断するまで、約15秒のことだった。
そもそも、人が「決断」する時何故「迷う」のかというと、「決断」の末にやってくるかもしれない「後悔」が怖いからじゃないかと思う。
コーラを飲んだ夜、何度もトイレに起きることがあったりすると、やっぱり寝る前にコーラなど飲むんじゃなかった…と「後悔」するかもしれない。
『要らない。』と言っておけばよかった、そう思うかもしれない。
同じようなことで、
昨日コンビニで『メロンパン』と『卵パン』
どちらを買うか「迷った」末、『卵パン』を買う「決断」をした。
日々、小さな「後悔」と戦いながら「迷い」、「決断」して時を過ごしてきた。
☆シャレにならない大きな「決断」も…
長男に生まれつきの障がいがある。
次の子供を考えた時、一応医師に相談をした。
同じ両親から生まれる『遺伝』はあるのか。
医師の答えは『無くはない』、というものだった。
しかし、その時「迷い 」はなかった。
だから必然的に、大きな「決断」もあっさりしたものだった。
もちろん、「後悔」など、あるはずもない。
次男は、病気がちではあるが、
無事成長し、夢を叶えて希望の職業についている。
後から聞いたことだが、
人は、子孫を残すため、妊娠・出産時には
不安に思うことが少ないようにホルモンで調節するらしい。
そうすることで、妊娠をためらわず、子孫を増やしていけるようになっているそうだ。
☆結局、「迷い」も「決断」も…
この歳になって思うことは
何かに「迷い」、やっとのことで「決断」したことで、間違いなどあるはずがない。
少しでも今を変えよう、
少しでも今より良くしたい。
そう思って「迷い」始めた瞬間から
停滞しているよりずっといい結果が待っている。
たとえ、いっとき「後悔」があったとしても、
年月を経ると、
何かしら「おかげさまで」 の状態になっているものだ。
だから私は、「迷った」ときは、前向きな方を選ぶ「決断」を推奨する。
Sponsored by イーアイデム